2010年5月13日木曜日

カボチャの馬車をさがせ

むかし、大学の先輩の女性と話をしていて「女の子は誰でも白馬に乗った王子様を待っているものよ」と言われたことがありますが、それが正しいかどうかはさておき、女性がいつもガラスの靴を手にした王子様が現れるのを待っている、と考えるのは、どうやら間違いのようです。

先日、ぼくが尊敬するふたりの女性研究者とお酒を飲む機会があったんですけど、酔いがまわるにつれなぜか「こんな男はうざい」という方向に話がゆき、そのふたりが意気投合した地点が、「シンデレラは12時までだということを理解していない男はうざい」というところでした。誤解のないようにあえて言っておくと、彼女らの論点は、みずからの理想を異性に押しつけようとする態度を非難するところにある、ということを正確に理解してもらう必要があります。

例えばですけど、舞踏会を抜け出して、自宅に帰って普段着に着替えて化粧も落としてこのまま寝てしまおうかそれとも明日の弁当のためにカボチャの煮つけでも作ろうかと思っているところに、 押しつけがましくガラスの靴を手にした自称王子が現れて、今すぐこれを履いてよみたいなことを言われたら、うれしいというよりげんなりするでしょう。

要するに、こういうことかも知れません。問題は、シンデレラはいるのかどうか、ということではないし、シンデレラを探してはいけない、ということでもない。ただシンデレラを探すのなら、ガラスの靴が合う足を探すのではなく、カボチャの馬車(というか馬車になっていたカボチャ)を探したほうが、お互いのためではないかと。