tag:blogger.com,1999:blog-1228071632818679949.post5821908202919429967..comments2011-06-28T14:23:55.493+09:00Comments on その角を曲がれば雨はあがる: 放射線とともに生きる社会の条件nishi makotohttp://www.blogger.com/profile/15408447677593783156noreply@blogger.comBlogger3125tag:blogger.com,1999:blog-1228071632818679949.post-6128054257718372142011-04-01T09:39:26.515+09:002011-04-01T09:39:26.515+09:00コメントありがとうございます。ベックは『危険社会』の冒頭で、原子力の時代が「他者の終焉」を意味すると...コメントありがとうございます。ベックは『危険社会』の冒頭で、原子力の時代が「他者の終焉」を意味すると述べていますが、これは誤りだったように思われます。障害者の運動や、そこから生まれた障害学が、間違いなくデモクラティックな社会に貢献してきたのに対して、市民運動が(その個々の要素がというよりは、全体として)、困難さの条件になってしまっているように見えるのはなぜかということを考えたいです。nishi makotohttps://www.blogger.com/profile/15408447677593783156noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1228071632818679949.post-42406454316228544782011-03-30T20:06:41.401+09:002011-03-30T20:06:41.401+09:00ひとは身近なひとになら自然と共感できる、問題はいかにその共感を遠くの人にまで伸ばしていくかだ、という...ひとは身近なひとになら自然と共感できる、問題はいかにその共感を遠くの人にまで伸ばしていくかだ、というような話をヒュームが論じていたと、どこかで聞きかじった気がしますが、西さんのこの文章は、まさにその実践として読みました。こうした言葉が増えていくことの大切さを強く感じます。Suheyhttps://www.blogger.com/profile/04811781607474494786noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-1228071632818679949.post-83148931961985606742011-03-30T18:19:04.672+09:002011-03-30T18:19:04.672+09:00「ぼくは反原発運動(全部ではないけれど、少なくともその一部)が、障害者運動とは本質的に相容れない主張...「ぼくは反原発運動(全部ではないけれど、少なくともその一部)が、障害者運動とは本質的に相容れない主張を含んでおり、そのような主張をしなくても、原発のない社会は想像できるはずだと考えています」チェルノブイリのときに一部で焦点化されたこの摩擦、合意点を探す努力が大切で、そこからわかりあえる領域こそを求めたいと思うわけです。tu-tahttps://www.blogger.com/profile/16387201507573771607noreply@blogger.com