2011年4月19日火曜日

原発とともに生きる社会の条件

福島第一原発の事故に対して、どれだけの犠牲が払われたか、払われることになるのか、まだ私たちは知りません。しかし、どのようなことにも犠牲が伴うと考えるならば、原発はそのようなことのひとつでしかないと言えるのかも知れません。

原発事故がどれほど危険なものであり得るか、ということを十分に知った今でさえ、なぜ原発が私たちの社会に存在してはならないのか、という問いへの答えを見いだそうとすれば、その答えは意外と見つけにくいのかも知れない、と思います。

原発は、そこで働く人たちに極めて危険な作業を押し付けるではないか、それが、原発が存在してはならない理由だ、という人もいるでしょう。今回のような過酷な事故のときにはもちろんだが、ふだんから放射線を浴びて作業せねばならない人たちがいる。

し かし私たちの社会には、誰かが危険な任務を引き受けてくれることを前提に成立している、という部分が確かにあります。戦争のような恐ろしい局面のことを 言っているのではなく、ごくふつうの生活を成り立たせるためにも、誰かに危険を肩代わりしてもらっていることは、ずいぶんあるような気がします。他の場合 は容認できて、原発での危険な作業だけは容認できないとしたら、それはなぜなのか。

原発事故は、現にこれほど多くの避難民を生みだしたではないか、それが、原発が存在してはならない理由だ、という人は少なくないでしょう。

確かに避難を強いられる苦しみや、いつ避難を強いられるかわからない恐れ、あるいは避難しないという判断がほんとうに正しいのかどうかわからない不安は、いずれも耐えがたいものです。しかし私たちの社会は、これまで も少なからぬ人たちに対して、生業を捨て故郷を去るように求めてきたように思います。そのような歴史の上に立って、なお原発による避難は容認できないとしたら、それはなぜなのか。

このようなことを考えたのは、つい最近実施された世論調査の結果、原発の現状維持を望む意見が51%を占めたという記事を、昨日の新聞で読んだからです。

そんな結果が出るのは、まだ原発の危険を他人事のように思っている人がいるからだ、と言う人がいるでしょう。しかし同じ調査では、89%が今回の事故に不安を感じていると言っており、88%が福島第一原発以外の原子力発電所でも、大きな事故が起きる不安を感じると言っている。不安だけれども現状維持を望む、という奇妙な感情は、同じ紙面で紹介された敦賀市民(主婦53歳)のことばに、端的にあらわれています。「危ないのを承知で原発をつくってきた。今更いらないとは言えない」(2011年4月18日付朝日新聞大阪本社版朝刊)。

敦賀市には4基の原発が立地しており、過去の事故で風評被害を受けた経験もあります(こちらの論文中に言及あり)。それでも17日に告示された敦賀市長選では、4人の立候補者全てが原発容認を表明しているということです。

「それは要するに金の問題だろう、原発がどれだけの金を地域に落としているか考えてみろ」という指摘は、決して的外れではないように思われるのですが、しかし「要するに敦賀市民は皆、金が欲しくて故郷を売ったのだ」という結論は、たいへんに的外れであると思うので、違うことを考えてみます。

「違うこと」というのは、次のようなことです。私たちの社会の中には、他の人たちの危険を引き受けることを自らの人生の条件だと考えて、ずいぶん長く生活してきた人たちが、少なからずいるように思います。例えば関西のために原発を引き受けてきた敦賀の人たちにとって、大阪であがる「原発はいらない」という声は、「敦賀はいらない」という声に聞こえないとは限りません。

そういえば別の文脈で、これと似た例があったように思います。さきの国交相が八ッ場ダムの建設中止を発表したときに、その決定は、建設反対の長い歴史を持つ地域住民の苦悩を根本から取り除くだろう、という期待があったと思うのですが、実際にはそうではなかった。苦悩の末に故郷を去る決断をした地域住民の中には、建設中止の決定に納得できないという人も、少なくないのです。それは他の人たちのためにと、故郷を去ることを選んだその人の人生が、突然、無意味だと言われたように感じられたためかも知れません。

以上のことを述べた上で、問題は次のようなことであるように思います。「結局のところ現状維持だけが、多くの人たちの人生の意味を否定しない方法なのだ」と結論することは、正しいのだろうか、それとも間違っているのだろうか。

これは答えのない問いだ、ということは、先に言っておかねばなりません。「なぜ原発が私たちの社会に存在してはならないのか」という問いと同じように、答えのない問いなのです。

ただし、答えのない問いであっても考える手がかりはあります。「なぜ原発とともに生きねばならないか」、という問いについて私たちが考える手がかりも、「なぜ原発とともに生きられないのか」、という問いについて私たちが考える手がかりも、福島や敦賀の人たちの経験の中にある、と考えてみることは、意味のあることだと思います。

たとえば「福島には原発が必要だった」という記事は、そのような経験について書かれたもののひとつだと思います。この記事は、「原発は必要だった。でも、もういらない」と結ばれています。そこには実に多くのコメントが寄せられていて、それに応答するかたちで書かれた「福島には原発が必要だった(補足)」という記事は、「過去を受け入れて、分析して、明日につなげたい」ということばで結ばれています。

※この記事にコメントがあるけどここには書きづらいという方がありましたら、ぼくはフェイスブックにいますので、そちらにメッセージくださっても良いです。

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