2011年6月23日木曜日

「生活障害」を支える

あいりん地区(釜ヶ崎)で地域医療にたずさわる人たちは一様に、日雇労働者として生活してきた人々の「生活障害」について語ります。人生の多くを飯場(作業現場の近くに設けられた労働者の生活施設)で過ごしてきた人たちの中は、食事に気を遣ったり、金銭の管理に心を砕くといったことが、非常に難しく感じられる人が少なくないからです。

満足に料理もできず、ひとりでは健康な生活を維持できないことは、何も日雇労働者に限ったことではなく、ある世代の日本人男性が広く共有する生活習慣であると言っても良いでしょう。それが生活障害として認識されないのは、生活を親身に支えてくれるパートナーや家族がそばにいる場合です。日雇労働者を引退した人の中には、そうした支えを得られないこともあって、深刻な生活障害に直面する人が多いというわけです。

531日、大阪市西成区のあいりん地区で実施された「地域医療・公衆衛生実習」に参加する機会を得ました。実習を主催してくださったNPO法人Health Support Osaka (HESO) は、2006年から日雇労働者やホームレス者に向けた結核対策などの地域医療に取り組んでいる団体です。

あいりん地区を歩いて、ここが労働者の町から「福祉」の町に変容しつつあることを実感しました。新今宮駅から少し南に下った南海電車の線路沿いには、釜ヶ崎の日雇労働者が単に「センター」と呼ぶ場所、西成労働福祉センターがあります。日雇労働の斡旋を正常化する(つまり労働者の日当をピンハネする悪徳斡旋業者を排除する)目的で1970年に設置された「センター」は、釜ヶ崎の町に君臨する巨大なコンクリートの塊という風情なのですが、我々が訪れたときには閑散としているように見えました。

他方で町の至るところには、「福祉の方、歓迎します」という看板が掲げられたアパートがあります。ちょっとわかりにくい表現なのですが、どうやら「福祉の方」というのは、生活保護の受給者、あるいは受給を希望する人のことを指しているようです。もっとわかりやすく「生活保護の方、入居できます」と掲げている建物もあります。

釜ヶ崎は長い間、日雇労働者の生活を支える町として知られてきましたが、一方では日雇労働者に対する求人が減り続けており、他方で、日雇労働者として生活してきた人たちの中には、支援や介護を必要とする高齢者として生きる人が増えています。

今回の実習では多くの場所を訪問しましたが、その中には「サポーティブハウス」と呼ばれる場所も含まれていました。サポーティブハウスとは、生活障害を抱えた入居者のために様々な支援を提供する簡易宿舎転用型アパートのことです。釜ヶ崎では三畳一間の簡易宿舎を、生活保護受給者向けのアパートに転用する例が増えていますが、サポーティブハウスはその中でも、もっとも手厚い支援を提供するアパートの形態です。

日雇労働を引退した人の中には、無理な生活を重ねて体を痛めている例も多く、何種類もある薬の服薬を見守ることは、サポーティブハウスが入居者に提供する大切な支援のひとつであり、あいりん地区の地域医療を支える活動のひとつです。サポーティブハウスが提供する支援は、他にも「生活保護申請手続きの介助、金銭管理、安否確認、居室や共用部分の清掃、サラ金問題の相談」、「入居者同士のトラブルの仲裁、入退院手続きの介助や入院中の見舞い、介護保険の相談」などがあり、加えて「入居者同士の交流を促し、また入居者と地域社会との接点をつくる」こともおこないます。訪問したサポーティブハウスの代表は、入居者から「ここで死にたい」と最期の看取りを求められることもあると話しておられました。

生活障害という名の、数々の厄介な問題を我が身に抱えた人たちに対して、釜ヶ崎の地域社会は、「ここはもうあなたたちの場所ではない」と言ってしまうことも、できたかも知れません。釜ヶ崎はかつて日雇労働者の町だったが、時代は変わり日雇労働者は姿を消しつつある。そう考えるならば、ただそれだけのことなのです。かつて日雇労働者の町とされた場所の多くは、跡形もなく再開発がおこなわれるか、あるいは予算の少ない旅行者に宿や食事を提供する場所に変わりつつあると聞きます。

しかし実際には、釜ヶ崎の地域社会は、引退した日雇労働者に居場所を提供し続けようとしています。生活障害を抱え、生活を支えてくれるパートナーや家族を持たない人は、その人生に親身につきあってくれる地域社会を切実に必要としています。

もちろん地域の人たちが、日雇労働者の生き方を、まるごと肯定的に捉えているわけではないことも理解できます。実習では、日雇労働者やホームレスに職業訓練をおこなう「リサイクルプラザ」も訪問しましたが、現場の副所長さんは、若い訓練生が職業人として自律的な生活を身につけるために、釜ヶ崎の環境から離れることが大切だという考えを強調しておられました。

それはその通りであるでしょう。しかし私たちがリサイクルプラザを去ったあと、追加の資料を持ってわざわざ追いかけてきてくれた副所長は、最後に少し違うことを伝えたいと考えていたようでした。「ここにいる人たちは、いろいろな思いを抱えて全国から集まって来たのだから、この人たちを大切にしないといけない、そのことだけ忘れないで」。こういう趣旨のことを、二、三度繰り返して言われたのがたいへん印象的でした。

「コンクリートから人へ」ということばが、政治家によって掲げられたことがあります。やみくもにコンクリートの建造物を増やす社会から、人をケアすることで幸福を追求する社会に転換しよう、ということでしょう。そのような目標を掲げるまでもなく、私たちの社会はもう大規模な建造物をつくり続ける余裕はなく、増え続ける高齢者のケアが目前の課題になっています。

その意味では「コンクリートから人へ」は、私たちの課題ではなく現実なのですが、釜ヶ崎では、コンクリートの建造物にお金が使われなくなったまさにそのことが、日雇労働者として生きてきた人たちの「生活障害」を加速する要因になっているのです。それだからこそ、この変化の中にあって、この場所を拠り所として集まる人たちの生活と健康と人格を「大切にしないといけない」ということが、切実に感じられるのです。

2 件のコメント:

  1. 神戸と釜ケ崎を舞台とする森絵都『この女』を、読んでみるのも一興。
    1995年の阪神・淡路大震災前夜にはすでに高齢者の街の様相を見せ始めていた釜ケ崎で、最後を看取り、遺品を路上で売っている男も重要な登場人物。

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  2. ありがとうございます!関連の研究書や小説を探しているところで、釜ヶ崎の歴史に触れた研究書では『大正・大阪・スラム』が非常に面白かったです。小説では青空文庫にあった武田麟太郎の『釜ヶ崎』を読んで、これも良かったのですが、現代に近いセッティングの小説を探していたところでした。『この女』読んでみます。

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